こんにちは、里山移住者ブロガーのchayo(@bloggers_chayo)です。

関ケ原鍾乳洞に行ったら、そのすぐそばに火薬庫がありました。

入場無料で見学自由だし、珍しい場所なんで、関ケ原鍾乳洞に遊びに来たついでにサクっと見るのにおすすめ。紹介します。

火薬庫は関ケ原鍾乳洞から歩いて行けるよ!

関ケ原鍾乳洞のチケット売り場の人から、火薬庫までは歩いて行ける距離と聞いたので、サクッと行ってみました。

ちょいと坂道を登ったところにあります。本当にすぐ近くだよ。

といっても、保育園の娘は御覧の通りにパパリンの背中にいるけどね(笑)

ちなみに駐車場もあるから、車でも行けます。

関ケ原の火薬庫は見学自由!

見張り台があるよ!

「玉の火薬庫跡」で、この火薬庫の正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」。

建設されたのは、明治末期から大正初期。

こちらは当時の見張り台。この中で兵士が交代で、見張っていたんだね~。

関ケ原の玉の火薬庫へ!

入り口はなにやら重々しい雰囲気です。山の中を洞窟みたいにして、建てられているんだね。

っていうか、建ててから、偽装したのかな?

外から火薬庫の中を見れるよ。当時はここに火薬がギッシリとあったんだね~。

火薬庫はかなりの広さで、規模は東洋一!

当時の基地の図もあるよ。中は本当に広かったんだね。

でも驚いたのが、この関ケ原の火薬庫が本当に広かったこと!

鍾乳洞も、この見学できた火薬庫もほんのちょっと。当時は山の中にずっと、ずぅっと、火薬庫が広がっていたんだね!

東洋一の規模っていうのにも納得デス。

火薬庫もいろんなタイプがあるみたい。

ちなみに敵に見つからないように、当時は山林のようにカモフラージュしていたとのこと(‘ω’)ノ

なぜ関ヶ原に火薬庫を建設したの?

こちらの記事によると、関ケ原に火薬庫が建設されたのは、以下の理由

  • 周りに民家が少ない
  • 東海道本線の近くで、交通の便が良い
  • 小高い山が点在し、土塁の構築に向いていた

chayoの勝手な推測としては、鍾乳洞が近くにあることから、地質が掘りやすくて、頑丈だったからもあるかなぁ?分からないけどね(笑)

尚、空爆も受けずに済んだから、終戦後に進駐軍は「玉の火薬庫」の存在に驚いたそうな。

関ケ原火薬庫の感想

関ケ原の火薬庫跡は鍾乳洞のすぐ近くだし、入場無料でサラッと見学できるから、鍾乳洞に遊びに来たのなら一緒に見学するのがおすすめ!

正直、こんなに広い火薬庫なんて、驚きました。

それにしても関ケ原は関ケ原合戦と言い、この火薬庫と言い、驚きの土地です(; ・`д・´)