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【読書メモ】ゆかいな仏教

ゆかいな仏教

まえがきにあるように、
「仏教こそ、身近であるにもかかわらず、実はわかっていない」
という私にとって、まさに打ってつけの本。

対談形式ということもあり、非常に面白く読んだ。
日本に伝わった後の仏教についても、きっと続編がでるんだろうと期待していたら、さっそく昨日発売された模様。(2017,1,26 続・ゆかいな仏教)

P4
現在、日本人は、個人的な場合でも、社会的な状況の中でも、宗教的に考えないことにはとうてい突破できない、たくさんの問題にぶつかっている。
仏教こそは、その第一候補ではないか。

それならば、先に述べたような多くの困難に直面している日本人に対して、仏教は、何か決定的なヒントや洞察を提供してきただろうか。

仏教の方が自分から私たちに語りかけてこないのであれば、私たちの方から仏教に尋ねてみよう。仏教よ、お前は何者なのか。仏教よ、お前はどんなふうに考えてきたのか。仏教よ、お前には世界はどのように見えているのか。仏教よ、お前はどんな実践を提案するのか。
こういう意図から企画されたのが、本書、…対談である。

まえがき
第1章 はじまりの仏教
第2章 初期の仏教
第3章 大乗教へ
第4章 大乗教という思想
第5章 大乗教から密教まで
結び いま、仏教を考える

仏教の本質と、ブッダの本性…

P44
仏(ブッダ)というのは人間なんです。あくまでも、人間が、人間のまま、仏になる。これを成仏という。知識として、このことは知っているかもしれないが、これをよくよく噛み締めなければならない。
このことに集中している仏教は、神に関心がない。神なんてなくていいと思っている。人間は、神の力を借りず、自分の力で完璧になれると思っている。
このことを確認すると、仏教は、一神教と無関係である。神を拝んでばかりいる、ヒンドゥー教と敵対関係にある。人民は政府がなければ幸せになれないと考えている、儒教とも違う。神と人間が協力して、幸せになろうという神道とも違う。合理的で自立した、個人主義的人間中心主義である。こんなに徹底した合理的で個人主義的な、人間中心主義はないんだと思わなければいけない。
ここに仏教の本質と、ブッダの本性があります。

キリスト教との対比がまた面白い。

P22
絶対に外せないポイントを考えてみると、ゴータマ・シッダールタがブッタであること。これにつきると思うのです。ブッダとは「覚者」覚りをえた人、という意味です。これがすべての仏教に共通する、核になっている。これを大前提として認めて、それに参加する人々の運動。これが仏教ではないか。

P26
キリスト教にとっては、イエスが何を考え、何を知っていたのかということ、つまりイエスの「思想」は、重要ではないとは言いませんが、それ以上に、イエスの身に起きた出来事、イエスが経験したことが大事です、
仏教にとって、シッダールタの人生よりもずっと大事なのは、シッダールタの覚りの内容です。

P28
イエスからキリスト教がどうやってできたかを考えてみると、イエスの「言葉と行い」に人びとが深くコミットしたところがポイントです。どうしてかと言うと、イエスが、大事なメッセージを伝えているから。そのメッセージを正しく受け取ることが、キリスト教の内容なんです。

P29
仏教にはドグマがない。
仏教は、メッセージではありません。そのことは、「覚り」という考え方に、よくあらわれている。
(1)知識である。
(2)その知識は、これ以上ないくらい素晴らしい。
(3)その知識を言葉にできるかと言えば、できない。
仏教の信仰の核心は、メッセージとして伝わらなくても、
《ブッダ(ゴータマその人)は、覚ったに違いない、》
と確信すること。その確信がすべてなのです。

P41
預言者は、God(神)と人間のあいだに立つ人です。
人間にとって理想的な状態を実現するのは、預言者ではGodですから、預言者はその先触れをすることができるだけで、預言者の言葉や行動の中には救いがない。救いに至る道を告げるだけ。
いっぽうブッダとは、覚ったひと。すでにそこに人間の理想状態が実現されたという出来事なんです。だからブッダが救い。
それは誰にとってか。ブッダ本人にとっては、救いになる、ブッダ以外の人にとっては、まだ自分はブッダでないので、救いではありません。

つまり簡単に言うと、預言者は人間を救わない。人間を救うのはGodだから。ブッダは人間を救わない。本人を救ってはいるが、他人を救うことはできない。人間を救うのは自分本人です、というのが仏教の考え方です。

P66
一神教のGodの全知全能。なぜ知っているのかと言えば、すべての出来事を引き起こしている張本人だから。
ブッダが、一切知者だとする。人間はブッダが世界を支配しているからなのか。そうではない。ブッダはただの人間なんです。これは世界の、真部分集合です。世界があって、そのあと人間が生まれているんです。だから、後出しジャンケンのようなものなのに、しかしブッダの知識が世界に追いついて、世界を完全に被覆しているんです。これは、世界を支配しているからではなくて、世界を理解しているから、なんです。
全部を理解できるというのは、お釈迦さまがそう言っていて、われわれもそうだと思うということです、簡単に言えば。われわれは全治ではないから、お釈迦さまが全知かどうか、確かめようがない。われわれには信じることしかできない。

阿弥陀仏の救い、思っていたのと、全然違いました。

P193
阿弥陀仏の本願をみると、「○○の条件をみたした人は極楽に往生させる(させたい)、ということを言っている。極楽に往生する、とはどういうことかというと、まあ、輪廻の一種です。
もう一度生まれる場合の、生まれ先が違う。
極楽に往生したあとはどうなるか。阿弥陀仏の説法を聞く。極楽は気持ちの良いところで、精神集中できるから、理解がはかどる。みるみる修行のランクが上がっていく。修行を受けているんだから仏ではないわけですけれど、その一歩手前、すなわち、このつぎに亡くなってまた生まれた場合に仏になれる。

以下に、気になった文章をメモ

P59
仏教は、カースト制を否定し、すべてのカーストの人びとに普遍的な救済の可能性を開くと言っても、その救済の場を、カーストとは別の、出家集団(サンガ)として用意せざるをえなかった点が、ある意味、制約になっている。

サンガの特徴は、いろいろなルールがあるんだけど、一口で言うと、ビジネスをやってはいけないということなんです。
そうすると、生産者に支持してもらわないといけない

P73
仏教は解脱を目指すと、ふつう言われます。解脱は、苦から離脱するという意味ではふつう使われず、輪廻から離脱することを意味する。人間を取り巻く輪廻の束縛から離れて、その外に出ていくことであると。
1 輪廻している(=苦)
2 覚る
3 解脱する(=涅槃)
「輪廻」「解脱」はあとから付け加わった。インドの民衆にアピールするための、ヒンドゥー教対策です。
最初は、こうだったのではないか。
1 迷いのうちに生きる(=苦)
2 覚る
3 正しく生きる(=涅槃)

P114
われわれが、仏教にとって中核的だとか本質的だとか思っているもののかなりの部分は、実は仏教にとって付随的なものにすぎなくて、なくしたり置き換えたりできる。それは、仏教にコミットする当事者にとっては意外かもしれないが、そうなのだと思います。
たとえば、出家をすること。
同じように、無常とか輪廻とか苦とか、 仏教を修飾しているいろいろな基本概念とされるものは、取り外してしまえると私は思う。なぜかと言えば、仏教はドグマでできていないからです。

P146
大乗教について(仏塔信仰起源説)
第一に、大乗が出てきた当時には仏教は、出家者のサンガを基盤にする部派仏教であったこと。第二に、大乗のグループは対抗意識を持って、部派仏教を小乗(レベルが低く不完全なもの)と主張した。第三に、従来の仏教から見れば、出家者のほうがランクが高く、在家者はそれにおとるものとされていた。第四に、大乗と小乗の関係があいまいで、「大小兼学」といって、大乗と小乗を一緒に学ぶ例がある。第五に、大乗仏教は仏塔信仰と何らかのつながりがあった可能性がある。

P156
ダルマとは
ひと言で言うと、お釈迦さまが覚ったのが、真理で、ダルマです。では、何を覚ったのが?あなたも覚ればわかりますよ、なんです。

P161
大乗の中心的な概念は、菩薩です。
菩薩とは、仏教の、在家修行者のことです。
仏弟子たちは、サンガで戒律に従って修行していた。このやり方をどこまで重要視するかですが、小乗はこれをほぼ絶対視している。だけど、出家者するとか戒律に従うとかいうことは、仏教の本質かどうかということでいえば、本質ではない。それは手段であり、ひとつの選択肢にすぎない。そこで、戒律に従わなくてもいいし、出家しなくてもいい、という論理を打ち立てようとするのが大乗教。

P165
大乗教は、反ヒンドゥー、反サンガ

P180
釈尊が、この世に生まれる前の、前世で立派な修行をしていたからであって、この世で出家してからの六年だけではないんだ、と説明することになった、立派な修行であると言うために、釈尊の前世はどんどん複雑になっていった。いわばポイントを貯めるみたいに、前世で原因を積み重ねた。

釈尊の前世を記述しなければならないが、ここで「過去仏」という考え方がでてきた。

釈尊が、唯一性を主張する。ブッダは、インド全体にたったひとりしかいないぐらい素晴らしい、という主張です。
要するに、ブッダの管理するエリアは非常に広い。これが、「一世界一仏」の原則です。

P371
日本人の精神史として大きなものが三つあるとすれば、一番が仏教、二番が儒教、三番目が神道や国学や天皇や日本のカルチャー。この三つが織り交ざったものとして日本社会が形成されている。一方、グローバルスタンダードとなるような思想はあまり入っていない。これで二千年から三千年やってきた。そのほんの表層に、明治以降のいろいろな欧米起源のアイディアが入っている。

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管理人ちゃよが、2016年3月に岐阜県の山里へ移住するまでに実際にしたこと

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